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銀色

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冷たい雨の夜、ぼくは傘を片手に住宅街を歩いていました。

区画整備がうまくいかなかったのか、複雑な路地は、からかうように道をくねらせ、ぼくはすっかり迷子でした。

不安がじんわりとビニール傘をすりぬけて、体にまとわりつきます。

重い足取りで、それでも自分を励ますために、わざと大きな音で雨粒を踏み潰しながら歩くと、赤銅色の「カレー」という看板を下げた古い造りの建物が目に入りました。

建物の周りは、背の高い緑で囲まれており、きれいに手入れされた木々の隙間から、あたたかいオレンジ色が洩れています。

カレーの匂いこそしませんでしたが、ぼくは暖かそうな建物にふらふらと吸い寄せられ、蔦が絡まった小さなアーチ状の門をくぐりました。


傘をたたんでドアを押すと、ドアの内側についたベルが、かろらん。

従業員の女の子が柔らかな笑顔で、お好きな席へどうぞ、と案内してくれたので、ぼくは一番奥のテーブル席に座り、開いたまま置いてあるメニューに目を落としました。

チキンカレー、シーフードカレー、チーズカレー、たくさんのカレーの文字が躍る手書きのメニューの中で「銀色カレー」という文字が目をひきました。

口から銀色の粉でも出るようになれば素敵だな、と、ぼくは、すっかり「銀色カレー」の名前が気に入ってしまい、チーズカレーも捨てがたいけれど、「銀色カレー」を注文することにしました。


窓を伝う雨粒を目で追いながら、厨房から流れるカレーの香りを吸い込むと、不思議な「銀色カレー」のことが知りたくてたまらなくなり、カウンターを拭いている女の子に尋ねました。

女の子はさっきの笑顔で、当店オリジナルカレーです、と教えてくれます。

「じゃあ、何で銀色なんですか?」

「当店の名前ですけど」

ぼくは慌ててメニューを手に取り、表紙に目をやりました。

『カレー専門店 銀色』

凝った字体でレタリングされた文字が、真ん中に大きく並んでいました。

なるほど。

ばつが悪くなって、愛想笑いを向けると、女の子は

「このコが銀色っていう名前で、それがお店の由来なんです」

と、カウンターの上に置かれた猫の写真を指差して、微笑みました。


どうして猫に「銀色」なんて名前をつけたのか気になりましたが、女の子が「銀色カレー」のお皿を持ってきたので質問のタイミングが合わず、それきりになりました。

一口、スプーンで口に運び、ぼくは全く唖然としました。

「銀色カレー」は名前の魅力の百分の一ほども、おいしくないのです。


ぼくは、ひどく損をしたような気分になり、ただただスプーンを、お皿と口の間で往復させ、水を一杯だけおかわりしたあと、席を立ちました。

さっきまで魅力的に見えた女の子の笑顔も、なんだかカレーの味と同じで、どこにでもある笑顔に見え、その色褪せた笑顔に、失礼にも溜息が出ました。


傘立てから傘を抜き取り、かろらん、とドアを開けます。

店の敷地を出て、ビニール傘の向こう側に看板を眺めると、先程は木々の陰に隠れて見えなかったのでしょう、看板にはメニューと同じ字体で「銀色」と書かれていました。


そのときです。

ぼくは、はっとして空を見上げました。

夜空と溶け込んだ真っ黒な雨雲が隙間を作り、その向こうに、まぁるい、きれいな銀色のお月様が、ぽっかりと浮かんでいました。

月明かりに照らされた雨粒も、銀色に輝きながら、きらきらと降っています。

ぼくは思わず溜息をつきました。

それは、店を出るときの重くて苦味のある溜息ではなく、美しさに魂が飛び出るような溜息でした。

溜息は白く冬空に昇り、そして銀色の雨になって、いつか地上に降ってくるのでしょう。

振り返って「カレー専門店 銀色」を見ると、窓から洩れるオレンジの光が、あたたかく住宅街に広がっていく気がしました。

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